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■目次

(1)ワンダフル宇宙
     「中国の宇宙開発の父、銭学森博士が亡くなる」


■ワンダフル宇宙

 中国の宇宙開発の父、銭学森博士が亡くなる

 ドイツからの帰りの飛行機で何気なく読んでいた新聞で見つけました。 銭学森(Qian Xuesen)氏が10月31日に亡くなったとの訃報です。満97歳 でした。「中国の宇宙開発の父」と呼ばれ、今や世界で伝説の人となった 人物です。おそらく宇宙関係の仕事をそれなりにやった人でないとご存知 ないかもしれませんが。

 http://www.ku-ma.or.jp/img/wonda091106.jpg
  (写真左が銭学森博士)

 1911年12月11日に杭州に生まれた銭学森は、1929年に交通大学を卒業し、 1935年には公費留学生としてMIT(マサチューセッツ工科大学)に入学、 そこで博士号を得ています。1944年には米国国防総省の科学顧問となりま した。1947年にMIT教授、1949年にCaltech(カリフォルニア工科大学)教 授となった彼は、Theodore von Karmanがリードしたアメリカ初期のロケ ット開発、そしてJPL(ジェット推進研究所)の創設において、素晴らし い活躍をしました。

 そして、中国革命が成功した直後の1950年、故国への想いやみがたく、 帰国を申し出て一時は許されますが、忌まわしいマッカーシズムが吹き荒 れていたアメリカの社会情勢はそれに待ったをかけ、宇宙技術の最先端の 知識を有するこの重要人物を放っておくはずもありませんでした。すでに 機乗するだけとなっていた空港で引き止められ、「共産主義者」という嫌 疑で逮捕され、軟禁状態に置かれました。

 しかし朝鮮戦争という歴史上の事件が彼の運命を変えました。1955年、 軟禁を解かれ、朝鮮戦争の米軍捕虜と引き換えに中国側に引き渡されたの です。

 1956年に中国科学院に力学研究所を設立し、その所長となった銭学森は、 ほとんど何もない状況からロケット開発を立ち上げました。設立当初、そ の力学研究所には電話が一つしかなかったと言われています。「まずやる ことは研究を開始するなどといったことではなく、教えることから始めな ければならなかった」とは、後の彼の述懐です。しかし数年の間は、ソビ エト連邦が援助の手を差し伸べてくれました。

 1958年には中国科学技術大学の創立に参加しました。その後銭学森は、 身を粉にして中国のロケット・人工衛星の開発で指導的な役割を果たしつ づけました。詳しいことは分からないので、私はこれから資料を集めたい と考えています。誘導ミサイル「東風」、人工衛星「東方紅」、誘導ミサ イル「海鷹2号」などは、彼の指導で進められたと伝えられます。

 懐かしい話としては、アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』に 出てくる中国の宇宙船「チェン号」は、銭学森の名前からとったものです。 これはスリランカを訪れたとき、著者から直接聞いたことなので、間違い ありません。銭学森は、糸川英夫先生よりも1歳上だったのですね。また 宇宙分野の巨星を一つ失いました。合掌。

(YM)

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