会員コラム
「台湾にすんで」(2008年12月25日)
台湾は日本の九州とほぼ同じ面積(九州が3万6千737.73平方キロメートル、台湾は3万6千キロメートル)で、 人口約2千2百万人、人口密度は1平方キロメートル当たり約630人で日本の人口密度340人をこえて世界第4位に ランクされています。台湾の北東、日本の最西端の与那国島へは僅か111キロメートル。
台湾最高峰の山は玉山の3952メートルで、これ以外に3000メートル以上の山200座以上、1000メートル を越える山は1000個以上あり、都会の嫌いな山好きの私にはその地形は魅力です。ユーラシアプレートとフィリピン 海プレートが台湾付近でちょうど衝突するような形で台湾の国土が形成されています。従って日本と同様に地震活動が活 発な地域です。日本と同じ火山帯に属し温泉が豊富です。
電離圏の地震に及ぼす影響の研究と、台湾の観測ロケット,科学衛星に少しでも役に立ちたいと、一年の予定で招聘を受けた台湾国立中央大学での滞在はすでに一年10ヶ月をこえてしまいました。この大学は台北の南西約30キロメートルほどの中暦(左に土へんがつきます)市に位置し、国立中央大学と台北の台湾大学との間には土日を除いて朝6時、12時、16時、17時のシャトルバスが運行されており、便利です。台湾の空の玄関口である、桃園国際空港は中歴(左に土がつき、且つ木へんでなく禾へんです)市と台北市とのほぼ中間に位置します。また新幹線の桃園駅は大学と空港のほぼ中間にあります。大学からタクシーで約20分の桃園駅から新幹線を使うと、台湾第二の都市 南部の高雄には90分でつけます。ということでこの大学は国外に出るにも南にいくにも距離的には便利そうな場所に位置します。一方、大学は電車の中歴駅からバスで東へ約20分の場所にあります。
私は妻と日本からつれてきた標準サイズのダクスフントの小次郎の3人(?)で大学の宿舎に住んでいます。台湾の人の車の運転は極めてあらく、交通信号を守らない運転者も多く、最初は道路を渡るのに戸惑いを感じたくらいです。
ということで自動車免許はこちらでも運転できるように書類をもらいましたが、外国人は運転しないほうがいいと助言され本日まで車なしの生活をおくってきました。新鮮な野菜なども街中にある市場に行かなければ手に入りませんし、たとえバスで行ったとしても車がないと多くは買えません。水道の水は沸かしてから飲まないといけないので、市内のそごうデパートで大量のミネラルウォータを買いますが、配達してもらう必要があります。山登りは登山口まで車がないとほぼ不可能です。一番困ったのは病院へ行くことです。タクシーを呼ぶにもまず言葉で大変です。大学の構内にすんでいるかぎり車なしの生活ではかなり不便を感じますし、都会派と自認する妻には極めて退屈だったと思います。
妻の買い物、病院など、日常の不便を大きく除いてくれたのが隣の宿舎に住んでいる、張教授の奥さんです。 張教授は日本で学位を取り奥さんも日本の大学を卒業されており、たまたま宿舎の前で日本語で声をかけていただいた張婦人との出会いがなければ私達の台湾での生活は極めて不便なままで終わってしまったことはまちがいありません。的確な医者選びと病院へつきそっていただいたおかげで一日遅れたら大変なことになっていた前立腺肥大症も1週間の入院でことなきをえました。
車がなくあきらめかけていた台湾での山歩きは極めて幸運な出会いから実現することになりました。私が働いていた宇宙科学研究所の秋葉研究室で2年間研究していた中山科学研究院の郭さんが毎週金曜日の夜になると土曜日のハイキングへの誘いの電話をかけてきてくれます。郭さんが作った定年退職者を主にしたハイキングの会は海抜約600メートルから1000メートルの山の麓か、中腹に午後1時にそれぞれ集まり、それから登りはじめ、下山、そして夕方みんなで食事して散会します。ほとんどが企業、研究所、あるいは大学に勤めていた研究者のグループですから、英語で比較的不自由を感じない会話ができます。おかげさまで台湾の山の植生を勉強する機会と、多くの方々との出会いを楽しむ機会をあたえられました。
私達の台湾での暮らしはこうして上に書いたお二人をはじめ多くの人たちに助けられて過ぎてきました。ここにはまだ日本の大都市に住む人たちが失いかけている、他人を思いやり、且つ助け合うという心が深く根付いています。たまにはおせっかいが過ぎると感じる時もありますが最近は遠慮なく好意に甘えることにしております。上に書いたお二人は日本で多くの日本人から親切にしていただいたと伺いました。私達が会ったこともない人たちが日本でお二方に与えた親切のお返しを今台湾で受けています。国際親善といっても結局は個人対個人の付き合いが基になっており、個人に施された親切の積み重ねが国と国の間の友好に役立ち、お互いの国が理解しあう基礎となっているような気がいたします。日本の台湾統治、そして霧社事件のような日本の台湾での行為を正当化していると誤解されることは筆者の望むところではありませんが日本統治時代に現場責任者として烏山頭ダム建設と1万6000キロメートルにわたる灌漑用水路の建設にあたり、今も台湾の人達から敬愛されている八田興一氏、台南市の文化財の修復、保存につとめた日本統治時代の最後の台南市長羽鳥又男氏など、台湾を心から愛し、台湾に貢献した大先輩のおかげで今私達は台湾で多くの方々の暖かい心に接しながら、快適な生活を送っていると思うことであります。私も私の専門である電離圏の研究に関して、地震発生の前に見られる電離圏への擾乱の研究と、長らく日本の観測ロケット、科学衛星に従事して培った経験を通じて自前の科学衛星を作ろうとしている台湾のために少しでも貢献できればと思いつつ毎日を過ごしています。
小山孝一郎