入会案内
コンテンツ
KU-MAについて
リンク
会員向け
KU-MAの
おすすめ

世界でいちばん素敵な
宇宙の教室


超巨大ブラックホールに迫る
「はるか」が作った3万kmの瞳


自然の謎と
科学のロマン(上)

Newton編集長の実験と工作動くもの浮くものの不思議

Newton編集長の実験と工作─光や電気の不思議─


小惑星探査機「はやぶさ2」の大挑戦 太陽系と生命の起源を探る壮大なミッション


新しい宇宙のひみつQ&A


宇宙人に会いたい!: 天文学者が探る地球外生命のなぞ


宇宙の始まりはどこまで見えたか? 137億年、宇宙の旅

他にもおすすめがあります

YMコラム
「和」の系譜(1)日本の古代文字の話挙

 「和」の系譜(1)日本の古代文字の話

 「和」ということについて語りましょう。聖徳太子が制定したといわれ る17条憲法の冒頭が「和をもって貴しとなし、忤(さか)ふることなきを 宗とせよ」とあります。これは『論語』にある「有子曰 禮之用和爲貴」 (礼を之れ用ふるには、和を貴しと為す)から引用されているものです。 あまりこういう歴史的文献を自分勝手な解釈で深読みしすぎてはいけませ んが、聖徳太子が統べている役人たちが守るべき道徳的な規範を示してい るのだと教わった覚えがあります。小学校か中学校で教わったときの曖昧 な記憶では、「仲良くしろ」というようなことだったのでしょうか。「そ りゃそうだろうな、喧嘩していては仕事にならないもんな」と感じたよう な……。

 しかしここでは、日本人の特質とからめて、「和」を論じることにしま しょう。なぜこのことに私がこだわりがあるかと言えば、このことが「い のちの大切さ」や「日本人の独創性」や「現代世界での日本の世界への貢 献」に深いつながりがあると考えているからです。

 「和」を論じるための最初のテーマは「文字」です。私たちは現在、 「漢字」と「ひらがな」と「カタカナ」を駆使して文章を書きます。時に はアルファベットも混じってきたりします。この最新型の和漢混淆文は、 その国固有の言葉と外国から来た言葉を織り交ぜて使うのに、極めて威力 を発揮するのですが、一体どうやって作り上げてきたものなのでしょうか。 気の遠くなるようなこのテーマですが、しばらくお付き合いください。こ のテーマの中に、この列島の人たちの独創的な「和」が見事に息づいてい るのです。

 まず今回はいにしえの話から──中国の漢字が伝来する以前にわが国に 固有の文字(国字)があったか否かをめぐっては、かつてさまざまな事件 ・論争がありました。

 漢字が伝来する以前に古代日本で使用されていたと「称される」日本固 有の文字を総称して、「神代文字」(じんだいもじ、かみよもじ)と呼ん でいます。結論から言えば、江戸時代にはその実在を信じていた学者も少 なからず存在したし、現在でも古史古伝や古神道の信奉者の間に信じてい る人がいることはいます。しかし、近代以降の日本語学界における研究で は、「神代文字」と呼ばれているものは「古代文字」などではなく、すべ て近世以降に捏造されたものであり、漢字の伝来より前には、日本に固有 の文字は存在しなかったとする説が広く支持されています。

 神代文字が存在したのではないかという説は、鎌倉時代の神道家である 卜部兼方をもって嚆矢とします。兼方は『釈日本紀』(1301年以前成立) の中で、「神代に亀卜が存在したと日本書紀に書いてある。文字がなけれ ば占いができないではないか」というので、何らかの文字が神代に存在し た可能性があるという考え方を示したのです。兼方自身はそれが仮名では ないかと考えていたフシがありますが、それ以来、卜部神道では仮名とは 異なる神代文字の存在を説くようになったのです。たとえば、清原宣賢と いう人などは、『日本書紀抄』(1527年)で「神代ノ文字ハ、秘事ニシテ、 流布セス、一万五千三百七十九字アリ、其字形、声明ノハカセニ似タリ」 と、神代文字の数や形等の特徴についてかなり具体的に述べています。と ころが神代文字の実物は、さっぱりと姿を現しませんでした。

 そして江戸時代になり、尚古思想の高まりを迎えて神代文字存在説もま すます盛んになり、遂に神代文字の「実物」が登場するに至りました。そ れ以来、神代文字として紹介された文字は実に数十種類にも及んでいます。 中でも、最初は神代文字を否定していた平田篤胤が、後に肯定論者になっ てから著した『古史徴(こしちょう)』の中の「神世文字の論」やその後 の『神字日文傳(かんなひふみのつたえ)』とその付録『疑字篇』が有名 ですね。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Portrait_of_Atsutane_Hirata.jpg

 これに対し、貝原益軒、太宰春台、賀茂真淵、本居宣長、伴信友などが、 次々と実証的に神代文字を否定し、後世の偽作であると主張しました。そ の論拠となったのは、すでに9世紀の初めに、代々朝廷の祭祀の責任を持 っていた古代氏族・斎部氏の長老・斎部広成が、『古語拾遺』(808年) において「漢字渡来以前の日本には文字が存在しなかった」と明白に述べ ていることです。卜部兼方より500年も前の貴重な証言です。

 ずっと時代が下って、橋本進吉博士は、『万葉集』など万葉仮名で記さ れた奈良時代の文献を綿密に研究し、上代特殊仮名遣と呼ばれる特殊仮名 遣を発見しました。そして奈良時代には濁音節を含め88の音節が存在した ことを明らかにしたのですが、神代文字のほとんどは字母数が平安時代に 作られたいろは歌や五十音図と同じになっています。これは神代文字が平 安時代以降に創作されたものであることを示しています。

 神代文字の中には、ハングルと酷似したものがあります。対馬の豪族・ 阿比留氏が関係すると言われる「阿比留(あびる)文字」または「日文 (ひふみ)」ですね。

  http://deliver.vector.co.jp/screenshot/425/425926_01.jpg

 ところが、ハングルは1443年に考案されたものですから、そのハングル が阿比留文字を参考に考案された文字という証拠でも出てこない限り、阿 比留文字もそれ以降のものということになりますね。もう一つ「カタカム ナ文字」と呼ばれている神代文字もご紹介しておきましょう:

 http://deliver.vector.co.jp/screenshot/422/422191_00.jpg

 最後に、馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませんが、一つだけ割りと最 近の事件をご紹介しておきます。茨城県北茨木市磯原町に、「皇祖皇太神 宮天津教」という宗教法人があります。この天津教の経典として、「竹内 文書」(あるいは磯原文書、天津教文書)というものが伝わっているそう です。それは、神代文字で記された文書と、それを武烈天皇の勅命により 武内宿禰の孫の平群真鳥(へぐりのまとり)が漢字とカタカナ交じり文に 訳したとする写本群、文字が刻んである石や鉄剣など、一連の資料の総称 で、いわゆる古史古伝の書物です。ただし、写本自体が焼失されたと言わ れて、そもそも非公開なので、現在では明確に「偽書」「偽史」とされて います。

 1928年(昭和3年)3月29日、その平群真鳥の子孫であるとされる竹内家 に養子に入ったと自称する第66代宮司の竹内巨麿(きよまろ)という人が、 その竹内文書の存在を公開しました。「写本の多くは焼失し失われている が、南朝系の古文献を再編した」と称したのですが、その際、天皇家の紋 章である菊花紋を使ったという咎で、1932年(昭和7年)に竹内巨麿が不 敬罪に問われ、内務省特高警察に拘引されました。

 世に言う「天津教不敬事件」です。事件は大審院(現最高裁判所)まで 争われ、結果としては、「宗教上の教義問題であり裁判になじまない」と いう理由で、1944年(昭和19年)12月12日、竹内巨麿は無罪になりました。

 その時に公開された資料をもとに、狩野亮吉や橋本進吉が神代文字の批 判を展開しました。その「竹内文書」の一部が、下のページに掲げたもの です。クリックしてください。上記のことを頭に置きながら、じっくりと ご覧ください。神代文字として主張されていたのは、こんな感じのもので す。

 http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/5h-genngo/5h-amatu-1.htm

    まだまだ神代文字を信じている人はいるようですし、これからも歴史は 繰り返すのかも知れませんが、ともかく「神代文字」なるものは後世の偽 作であるというのが学界の定説となっています。また、昔の遺跡や古墳の 発掘作業が進んで、文字の書かれた土器・金属器・木簡などが続々と発見 されており、こういった出土文字から、古事記や日本書紀より前の時代に どのような文字が使われていたかが判明しつつあります。こうした考古学 的な知見も総合して、漢字渡来以前に日本に固有の文字はなかったという 考えは、確かなものと考えていいのではないかと、私は思っています。

 したがって、次週から述べる、文字をめぐる「和」の展開は、神代文字 はなかったという前提で話を始めることにします。

YM

<<「漢字と宇宙のコラボに参加して」TOP「奥さんはハム?」>>
TOPKU-MAについて入会案内リンク会員向け

このサイトの内容の無断転載・複製を禁止します