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YMコラム
7月22日「おふくろのこと」

 文藝春秋の8月号に短い文章を書いた。「オヤジとおふくろ」というコ ラムである。結構読んでいる人がいて、いろいろと感想をいただいている。 ここに転載する。あの母の生きざまを思い出すにつけ、自分の命をすべて 使い切ってから死にたいとの決意が、いつもいつも新たなものになる。こ んな国に生きていることが、いかにも心地悪い。これでは本当にハラが立 って、ボケることすらままならない。窮屈になる一方のこの国の、処方箋 を探す旅には果てがない。以下が上記の一文である。

 「母の背中」  的川 泰宣

 小学生の頃、わが家には両親と二人の兄貴がいて、母は明治の女。男と 一緒に食事をしなかった。冬ともなれば、炬燵に四方から身を入れて夕食 をするのは男4人であった。私と次兄とは9歳違いなので、私が小学校に通 い始めた時は、次兄は高校に入学して「正式に」お酒を飲んでいた。だか ら私以外の「男ども」は夕食のときにそれなりに飲んでいるので、私だけ 仲間はずれの感じがある。お猪口に当然のように手を伸ばすとさすがに雰 囲気的にはまずいので、母が向こうを向いて料理している隙を狙って、兄 の腕をつつき、サッと一口だけ飲ませてもらうというコソコソした飲み方 であった。でもなぜか禁断の液体はなぜか最初からおいしかった。

 5年生最後の大みそか。母に思い切って申し出た。「来年は僕も最高学 年になるから、そろそろお酒を少しぐらいは飲んでもいいのではないか」 と。「このバカ」という顔をして私の方を睨んだ母から、次の瞬間、実に 粋な提案がなされた。「そんなに飲みたいなら、実力で飲みなさい。明日 のカルタ取りで取った枚数だけ、私が御猪口にお酌してやるよ」。毎年わ が家の1月1日はカルタ取りで始まった。だから幾分は私の知っている札も あったのだが、母の挑戦を受けて血が騒いだ。その夜の私の記憶力は、生 涯忘れえぬレベルのものとなった。必死で上の句と下の句を繰り返しなが ら憶えた成果は、新年のめでたいカルタ取りで遺憾なく発揮され、母と兄 二人を相手に、私は29 枚もの札を獲得したのである。因みに実力差のあ り過ぎる父は読み手になっていた。

 さあ母にとっては困ったことになった。しかしこういう時に腹をくくる のに全く躊躇ないのが私の母だった。3歳の夏、呉市を空から襲った米軍 の猛攻の下で、近くの防空壕に避難したわが家族は、フィリピンの戦地に いた父を除く4人だった。私たちのすぐそばで一人の男の子が窒息したの を見て、直ちに私を背負って隣の防空壕めがけて走り出した母。汚れた空 気に満ちた内部よりも爆弾が降り注ぐ外部のほうが安全だと即座に判断を 下す果断の母であった。その壕から壕へと500 mを走った「母の背中」が 私の生涯最初の記憶となった。一夜明けて最初に入っていた防空壕に行っ たら、そこは直撃弾を受けて全滅だった。いのちをくれた母は、たびたび いのちを救ってくれた母でもあった。福岡県田川。「青春の門」の舞台で 生を享けた母は、「仁義なき戦い」の舞台である呉市でも豪胆に生きた。 私が大学2年のとき、腸の癌であっけなく世を去った。楽しい思いをもっ ともっとしてもらいたかったが、詮無いことになった。

(YM)

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