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9月9日「「はやぶさ」の命名事情」

 日本の科学衛星は、打ち上げ前はASTRO-BとかPLANET-CとかEXOS-Bとか MUSES-Aとかの「コードネーム」で呼ばれていて、それぞれ何を目的とす る衛星であるかが、おおまかには示されている。たとえば、ASTRO系は天 体物理学(Astrophysics)の衛星であり、俗に言う天文衛星である。 PLANET系は惑星探査機(Planetary Explorer)、EXOS系はもともとは Exosphereに由来し、大気あるいは宇宙プラズマ物理学関連のミッション、 MUSES系はMu Space Engineering Spacecraftの略で、「ミューロケットを 用いる工学実験探査機」というほどの意味である。その後についているA, B, Cなどというのは、その1番機、2番機、3番機ということ。

 だからこれは生まれてくる子どもが男か女かを区別した上で、その何番 目かを表現しているようなものなので、このままで行けば、誕生する衛星 /探査機に、「長男」とか「三女」とか命名するのと本質的には変わらな いことになる。これではあまりに無味乾燥である。最初に生まれた女の子 を、「おい、長女」と呼びたくはないだろう。そこで、衛星/探査機に愛 称をつけるということが行われる。上記の衛星で言えば、ASTRO-Bが「てん ま」、 PLANET-Cが「のぞみ」、EXOS-Bが「じきけん」、MUSES-Aが「はる か」といった具合。

 初めて日本の科学衛星に愛称がついたのは、もちろん最初の衛星「おお すみ」である。1970年2月11日、L-4S-5ロケット5度目の挑戦で、ついに悲 願なった日本晴れの内之浦で、大きく胸を張って、「誕生した日本初の人 工衛星を“おおすみ”と命名します。アルファベットで書くときはOの後ろ にhを入れてください。O-h-s-u-m-iです」と発表したのは、糸川英夫が東 京大学を退いた後にロケットチームを率いた玉木章夫だった。すぐ後ろに 立っていた内之浦町の婦人会長の田中キミさんが小さな日の丸の小旗を両 手に掲げて万歳をしながら、「有難うございます!」と叫んだ姿が、あざ やかに印象に残っている。(図1)

(図1)http://www.ku-ma.or.jp/ym/ym100908-01.jpg

 2号衛星は、東大のスクールカラーから「たんせい」(淡青)と名づけら れた。これも玉木章夫が発表した。これはM-4Sロケットの試験飛行を兼ね、 衛星としても試験衛星だった。これ以来しばらくは、ロケットに改良を加 えて新しいバージョンになった1号機は、必ず試験衛星として、「たんせい 2号」「たんせい3号」……と名づける習慣となった。

 衛星の命名を、打上げ実験班の投票をもとにして選定することになった のは、3号衛星からである。この初の本格的科学衛星MS-F2は、玉木を座長 とする命名委員会で「しんせい(新星)」となった。落選した人たちは 「安タバコみたいで嫌だな」と僻んだ。

 M-3Sの2号機は、1981年2月に太陽をX線でとらえるASTRO-Aを運んだ。 アメリカの太陽観測衛星SMMが途中から不調を来しているのを尻目に、正 に独壇場の働きを見せ、太陽フレアの新しいX線像を私たちに提供しつづ けた。そしてこの衛星は、その後今日まで続くわが国の太陽フレア観測の 黄金時代の基を築いた。衛星名の投票では、当時ベストセラー街道を驀進 していた『火の鳥』(手塚治虫)(図2)にまつわる組織票が組まれ、圧勝した。 打上げ後には、高田馬場の手塚治虫プロダクションを訪ねて仁義をきった。 なお、この「ひのとり」の打上げに際しては、内之浦の実験場内では猫も 杓子もルービックキューブをクルクルと回していたことが思い出される。

(図2)http://www.ku-ma.or.jp/ym/ym100908-02.jpg

 手塚治虫は至って鷹揚で、「どうぞどうぞ、いくらでもお使いください。 次は“鉄腕アトム”なんかいかがですか?」ということだったが、その時 は「いやあ、有難いことですが、ちょっと衛星名としてはなじまないかな ?」と逃げた。(図3)しかし絶好のチャンスがやってきたのである。2003年5月 初め。小惑星サンプルリターンの技術を確立するための工学実験探査機 MUSES-Cの打上げを控えていた。

(図3)http://www.ku-ma.or.jp/ym/ym100908-03.jpg

「はやぶさ」http://www.ku-ma.or.jp/ym/ym100908.jpg

 投票で人気を誇ったのは「アトム」「あとむ」だった。実は、手塚治虫 さんは鉄腕アトムの誕生年を2003年に設定しており、自律探査ロボットと してのMUSES-Cの性格から、「アトム」「あとむ」の人気は高かった。高田 馬場を思い出した。「鉄腕アトムを衛星の名前にする日が来た」と。しか し命名委員会の席上、上杉邦憲がおもむろに切り出した。「アトムって原 爆を思い出さない?」と。それでチョンとなり、「はやぶさ」に。

 記者会見では、「隼という鳥は、遠くから獲物を見つけ、サッと舞い降 りてサッと舞い上がる。そして巣へ急行します。MUSES-Cのアクションと酷 似していますから」と述べた。(図4)これには後日譚がある。「はやぶさ」が地 球に帰還してからのこと。「はやぶさ」という名前は、上杉とプロジェク トマネジャーの川口淳一郎が中心となって応募したものであることが判明 した。つまり、あの命名委員会での上杉の発言は、周到に準備されたもの だったか! うまくしてやられた!

(図4)http://www.ku-ma.or.jp/ym/ym100908-04.jpg

 上杉と私の付き合いは長い。私が広島県の出身で、原爆という言葉に弱 いことは百も承知。(図5)戦闘機「隼」の翼の空力設計を担当したのが糸川英夫 だったことも承知済み。(図6)昔ロケットの発射のたびに東京から29時間かかっ て私たちを西鹿児島まで運んでくれた特急寝台「はやぶさ」の思い出も共 有している。(図7)こうしてまあ何もかも心理的にはまって、「はやぶさ」が栄 えある愛称となったのである。振り返ってみれば、キャラクターにふさわ しいいい名前である。子どもの名前なんてそんなものか!

(図5)http://www.ku-ma.or.jp/ym/ym100908-05.jpg

(図6)http://www.ku-ma.or.jp/ym/ym100908-06.jpg

(図7)http://www.ku-ma.or.jp/ym/ym100908-07.jpg

 なお「小惑星イトカワに行くから“はやぶさ”と命名した」という俗説 は間違いである。この「はやぶさ」命名の時点では、ターゲットの小惑星 の名称は1998SF36であった。発見者が命名権をもつので、もう以前からそ のアメリカの発見者に「糸川英夫」の名前をつけてくれと依頼してあった のだが、それがようやく国際天文学連合の命名委員会で正式に認められた のは、打上げ後3ヵ月経った2003年8月のことだった。

(YM)

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