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YMコラム
5月5日「科学衛星の命名ものがたり(4)」

 1980年代の半ば、日本の宇宙科学は地球重力の外へ探査の足を延ばした。 それは76年ぶりに太陽の近くに回帰してきたハレー彗星をめざすものだっ た。IKI(ソ連の宇宙科学研究所)、ESA(欧州宇宙機関)、NASA(米国航 空宇宙局)、ISAS(日本の宇宙科学研究所)の4極から計6機のハレー探査 機が、この星空のスーパースターをめざした。

 世に「ハレー艦隊」と呼ばれたこの国際協力に加わったことが、日本の 宇宙科学が本格的に国際舞台に登場するきっかけとなった。

さきがけ(先駆け、SAKIGAKE)(旧名MS-T5)──最初の地球重力脱出

 命名は難航した。ロケットがM-3SからM-3SUに新しくなった。探査機は 初めての惑星間航行をするから設計思想も新しい。長野県臼田に直径64m の大型アンテナを深宇宙通信のために建設した。ソフトウェアも地球中心 から太陽中心に変換する膨大なものに書き換えた。

 とは言っても、このM-3SUロケットの1号機(図1)で打ち上げるのは、 ハレー彗星に向かうテスト機として設定された。M-4Sロケットで打ち上げ たMS-T1、M-3CによるMS-T2、M-3HによるMS-T3、M-3SによるMS-T4という一 連の試験衛星に次いで、M-3SUロケットで打ち上げる5番目の試験衛星とい うことで、ハレー探査の1番機のコードネームは“MS-T5”であった(図2)。


(図1)発射台上のM-3SII


(図2)MS-T5の組み付け

 しかしいざ投票を実施してみると、上記の新規開発要素のうちのどの部 分を、この未来につながる歴史的なミッションの愛称の根幹に据えるか、 非常に迷う選択となった。

 結局、惑星間空間への船出というグローバルなポイントが優先され、 「さきがけ」という名前に表現されたわけだが、「だっしゅつ(脱出)」 とか「はるか(遥か)」なども有力な対抗馬であった。動きながら矢を射 て、標的にズバリと当てるというイメージから「やぶさめ(流鏑馬)」な ども有力な候補だったが、外国人には発音が難しかろうということで、見 送られた。

 「さきがけ」というのは、いわば様態を示す言葉である。「物の名前」 でない言葉が、日本の衛星につけられたのは、考えてみると、これが初め てだった。1985年1月8日、内之浦から打ち上げ、地球脱出。

すいせい(彗星、SUISEI)(旧名PLANET-A)──ハレー彗星本格機

 そして同年8月19日。ハレー2番機の打ち上げ。宇宙プラズマシリーズの EXOS系、天文衛星シリーズのASTRO系に次いで、惑星探査シリーズPLANET系 の始まりである。このハレー探査機のコードネームはPLANET-Aである(図3)。


(図3)PLANET-Aの組み付け

 打上げ当日の天気は不安定だった。何しろランチャー旋回をしながら動 作チェックを行い、しかもM台地から雲の様子を睨みながら、打上げ直前 の準備をしていた。打ち上げそのものが成功したまではよかったが、打ち 上げ日の1週間前に、日航機の墜落事故があり、 “PLANET-A”の打上げ 成功という画期的なニュースは、あまり世間から注目されなかった記憶が ある(図4)。


(図4)「すいせい」の打上げイラスト

 衛星名は、これも難航し、結局のところ最も「無難」な「すいせい(彗星)」 ということになった。記者さんから「いま彗星はどの辺りですか」と訊か れて「ハレーですか、探査機ですか。どっちのスイセイですか」と聞き返 すこと頻りだった。

(つづく)

(YM)

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