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YMコラム
5月12日「波の細道(1)」

 5月5日から2日間(実質1日半)、東北を回ってきました。両膝の痛みを抱えて躊躇する心はありましたし、何の役にも立たない人間が「見学」に行くことの後ろめたさもありましたが、少しぐらいは命を縮めてでも、やはり自分の目で見つめることがmustのようにも感じられたので、YAC(日本宇宙少年団)の小定くんという宮城出身の若手という力強い味方も得て、行ってきました。YACの安田さんも同行。胸のつぶれるような2日間でしたが、出立前に心の奥に芽生えていた「これからの日本をしっかりと建設するために力を尽くす」という決意が一層強くなった貴重な日々でした。

 まず死者680人を出した仙台から入りました。途中の道路沿いに信じられないようなたくさんの車のスクラップ(図1)。そして淀んだ川の流れに空しく体を横たえる立派だったに違いない建物の数々(図2)。がれきがうずたかく積まれている多賀城を経て、塩竃を訪れました。塩竃には、宇宙研の「宇宙学校」以来のお付き合いである阿部いと子さんがいらっしゃいます。現在は保育所関係の勤務と聞いています。訪ねました。3.11直後にすぐ電話をしていたので、お元気とは分かっていましたが、やはりそのお顔を実際に見て安心もし、嬉しかったです。以前ご一緒した「富士見寿司」も津波でやられ、引っ越し先が貼ってありました。近所の「大関寿司」という、これまた素晴らしい味のお寿司屋さんでお会いしました。


(図1)あちこちに車のスクラップの山


(図2)何とも無残な運命

 あの忌まわしい日、阿部さんのお母さんは自宅におられて、いつもなら居間の食卓のそばに座っているはずが、たまたま2階に上がる階段の2段目か3段目に腰をおろしていたそうです。それで、「水が来た!」との報を受け、お姉さんが急いで重いお尻を押して2階へ移動させたところ、10秒後に猛烈な波が襲って来たと言います。「いつもの場所にいたら、確実に玄関から飛び出ていたでしょう。そしたら津波にさらわれていたに違いない」とのことでした。富士見寿司と大関寿司はほんの20〜30 mしか離れていないのですが、一つの通りの向こうとこっちで明暗が分かれました。

 「塩竃は、他の地域に比べれば、まだまだ被害は少なかった」と阿部さんはおっしゃいましたが、死者が21人も出ていますし、阿部さんのそのご実家も一階はすっかり水にさらわれてもう使い物にならないそうです。その家の脇に車が3台、どこかから流されてきたらしく、ぴったりと鼻を付けていたそうです。1台は激しくぶつかったようで、衝突跡が壁に残っていました。その近辺には、すっかり廃屋という感じの家がたくさん建ち並んでいました。その無人の家々の林立に無数の人々の恐怖・絶望・悲しみ・決意……さまざまな色彩の運命の錯綜する糸が巻きついているのを見る想いでした。

 塩竃市に属する地域では、島の方に避難生活を送っていらっしゃる方々がたくさんおられるとのこと。今はなかなか外からの受け入れをする準備が物心ともどもできていないけれども、もう少ししたら、私たちが駆けつけても何がしかのお手伝いのできる日が来るだろうということでした。その日には連絡をいただくことをお願いし、後ろ髪惹かれる気分で(もっとももう後ろ髪もあまり残ってはいませんが)塩竃を後にしました。

 次に訪れたのは、松島から東松島・奥松島です。途中、ヘドロの匂いの中に自衛隊員の姿がありました(図3)。やがて遺体の捜索が開始されたようです(図4)。ここまで来ると、光景は見るも無残なものに変貌して行きました。家の枠だけは辛うじて残ってはいても、その内部はすべて水に浚われてしまって、二度と住むことを拒否しています(図5)。そして広く見渡せば、町全体が完全に海になっていたことが今でも窺われ、浸水した水は現在も残っているのです(図6)。すでに死者が1000人を超えた東松島市は、行方不明者がいまだに数多く、カキの養殖や農地を営んでいたに違いない地域が、もうそれとは分からない状態になっています。


(図3)ヘドロの匂いの中を行く自衛隊の災害派遣チーム


(図4)早速作業が始まった。遺体の捜索だろう。


(図5)家の枠は残っていても中はすべてさらわれて使い物にはならない


(図6)浸水した水がまだ残っている

 奥松島の縄文村が小さな避難所になっていました(図7)。子どもの日のために大人たちが例年にも増して心をこめて飾ったに違いない鯉幟が翩翻とひるがえっています(図8)。その気持ちを思いやると涙が滲んできました。普段は並んで写真に収まることのないボートと家の残骸が、ここでは隣り合わせに転がっています(図9)。そのそばで黙々と作業を続けるボランティアの人々(図10)。奥松島の無残な情景のところどころに、かつて人が生活をしていたに違いない証拠の品が見つかると、それがまた惨めさを誘って行きます(図11、12)。


(図7)ここが小さな避難所になっている


(図8)大人の心遣いが嬉しい鯉幟


(図9)これがこの地域の日常の光景


(図10)避難所でボランティア活動を続ける人たち


(図11)東松島で


(図12)東松島市で

 茫然としてその様子を見ているうちに気がついたことが一つあります。がれきやヘドロを苦労して意識的に視界からすっかり取り除くと、あの松島の美しいたたずまいが蘇ってくるではありませんか。自然は力強く生き続けています。人工的なものだけが無残な姿に変わり果てている──初めてそのことに気がつきました。もちろんあちこちになぎ倒された色々な植物が見られます。しかし大地にしっかりと根を張った生き物たちの力強く生きている様を、驚異の目で見つめる瞬間が多かったのも事実です。再び人間どもが共存してくれる日を、この自然の姿が待ち望んでいると、私の心の眼には感じられました。

 「しっかりしなければ地球に置いて行かれてしまう」。しかも、人間というひ弱な生き物は、こんな絶望的な状況に陥っても、固い決意さえあれば、希望を抱えてその危機を乗り越える青写真を思い描くことができる。思いやりや支え合いや団結に加えて、こんな時のためにこそ科学と技術があるのだと考え、同時にその科学と技術の備えがもっと完成度を高めていれば、この悲劇そのものの程度がここまでは達しなかったのにとの悔しさに何度も襲われました。

 ここでは、どの光景に向かってもカメラを向けることが憚られます。それが、あちこちにうずたかく集められたがれきの山の奥、あるいはがれきからがれきを飛びわたっている数え切れないいのちの痕跡のためだと分かったのは、奥松島の現場でのことでした。だからこの「波の細道」に掲げている一連の写真は、いつものように何気なく撮ったものは1枚もありません。仙台空港へ向かいました。ANAとJALがそれぞれ小さなカウンターで営業しており、出発口と到着口は一つしかない状態です(図13)。空港の入口におしゃれなカーブの連続した屋根が続いていましたが、空港内部に展示してある津波当時の写真から、この屋根の高さまで水が来ていたのを知りました。優に2 mはあるでしょう(図14)。


(図13)仙台空港(1)


(図14)仙台空港(2)

 そこからUターンして、漁船が信じられない所にひっくり返っている名取・岩沼・亘理を通って、角田へ向かいました。角田には、宮大工の小川三夫さんが建てた長泉寺の本堂があります。曹洞宗の古刹です。42代目の方丈さんには、昨年の子どもたちの宇宙教室でお世話になりました。事前連絡なしで行ったので、寺務所の薄暗い窓の外からぬっと顔を出したら、いくぶんぎょっとしておられましたが、窓際まで来て私の顔を確認したら、破顔一笑、実に爽やかに迎えていただきました。小川さんの本堂の隣に庫裏があります。こちらは鉄筋コンクリートですが、本堂とのつなぎ目の部分に大きな割れ目ができています。ヒノキの本堂の部分が美しく健在なので、今更ながら日本の宮大工の「匠」に頭を下げました(図15)。


(図15)さすが無事だった長泉寺の本堂

 そこから小川棟梁に電話をしました。「そうか、角田に行ってるの。オレのような“建てる人間”は、今度のような事件が起きると、建物は心配だからすぐに見たいが、津波の現場は見られないよ。いくら何でも、人間が丹精込めて創り上げたものが根こそぎ水の力で流されてしまった現場なんて、悲しすぎて正視できない」と言っていました。「まあ復興がいくぶん進んだら行きたいな。それまでしっかりアンタのような立場の人にしっかり見ておいてもらわないと」とも。複雑な気分でした。

 そこから宮城の山奥の青根温泉郷へ。私の膝を気遣ってくれた小定くんの計らいです。遠い山道をかなり目的地まで近づいたところで、「通行禁止」と書かれた立て札を目にした時はびっくりし、そこから随分と迂回して夜遅く到着。こんなところまで地震の爪痕が残っているのだと、あらためてマグニチュード9.0の凄まじさを思いました。熱い熱い温泉を水でうめて、小定くんと入りました。部屋が2階だったのと、温泉のある一角にも階段があるので、膝には響いてひと苦労でしたが、気持ちのいい湯でした。(つづく)

(YM)

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