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5月19日「波の細道(2)」

 2日目は、朝7時に青根を発ちました。それでも、目を覆うばかりの陸前高田に着いた時は、午前10時をかなり回っていました。大変な苦労をして通れるようにしてくれたに違いない道の両側は、見渡す限りの無残な廃墟。次から次へと展開する光景(図1)と、まだたくさんの水を湛えている地面(図2)は、ところどころ辛うじて立ち残っているホテルなどがなければ、かつて町だったとは想像できないほどの惨状を呈しています。著名な高田松原でも、松島で感じた気持ちが起こりましたが、ここの風景を構成している主役の一つである松が悲惨な状態なので、海伝いの陸の模様はおそらく一変したのでしょう(図3)。


(図1)陸前高田


(図2)まだ津波の水が残る陸前高田


(図3)高田松原の一情景

 町の中を歩きながら、私はいつの間にか金子みずゞの詩を思い浮かべていました──

  箱のお家が出来ました。

  もう、石鹸の箱でもないし、
  お菓子箱でもありません。
  それは私のお家です。

  表に白い石の門、
  裏にはきれいな花畠、
  お部屋はみんなで十一間
  とてもきれいなお家です。

  そして私はそこに住む。
  小さなかわいいお嬢さま。

  きれいなお家がこわされて
  かさねた箱になったとき、
  私は、古びた、かたむいた、
  お部屋の柱を拭いてます。

 一生懸命、家族のみんなで築いてきて、思い出のいっぱい詰まった家は、女の子が遊びで作り上げた家とは違うし、またそれが津波によって一瞬のうちに破壊された時に襲ってきた、怒りと寂しさと空しさの混じった気持ちも、夕方になって遊びの終わる時間が来て片づけた時の女の子の「箱の家」とは違うけれど、深く深くしみとおる気持ちには、何かしら共通したものを感じたのです。

 ただし、次の瞬間には、目の前の目茶目茶になった陸前高田の平らな地域の状態は、再びもとの姿に戻ることはないでしょうし、そこでたくましく生活をしていてすでに命を失った人々は決して蘇ることはないという想いが、厳しく胸に迫ってきました。そして愛する者を失った人々の受けた苦しみ、日々の日常の暮らしを取り戻す苦闘がまだまだ続いて行くのだと思うと、金子みすゞの描いた世界とは次元の異なる現実があることを思わざるをえませんでした(図4、5)。


(図4)バラバラに壊れた建物の残骸(陸前高田)


(図5)見渡す限りの荒廃(陸前高田)

 陸前高田は、KU-MAの理事をやっていただいている村上卓司さんの故郷です。現場から電話をしました。彼が通った小中学校は、少し高台にあったので辛うじて難を逃れたそうですが、縁のある方々を多く失ったそうです。心からお悔やみを申し上げます。村上さんも4月1日に陸前高田に戻ったそうですが、その時はまだ道もしれほど復旧していなくて、一面の平野が、大空襲を受けた跡のように見え、茫然と立ち尽くしたということです。

 そこから県境を越えて岩手から宮城に入り、気仙沼に足を伸ばしました。気仙沼の街も、やはり陸前高田と同じく厳しい爪痕を残していましたが、その港にはいくつもの大きな船が、いろいろな角度に倒れ込んでいました(図6)。大船渡の船籍の船も、ここで座礁していました(図7)。大きな船、大きなタンク、……普段なら決してそこにあるはずのないものが重なり合っている様は、今後決して忘れることのできない印象を、私の脳裏に刻みました(図8)。


(図6)倒れこんだ船


(図7)大船渡の船も座


(図8)気仙沼の道で

 南三陸へ回る途中でラーメンでも食べようと小さな中華料理屋の近くで車を止めたのですが、料理屋に向かう途中に大きなスーパーがあり、そのそばを通りかかって、ヘドロの匂いに恐れをなし(図9)、結局は南三陸まで行ってから食べました(図10)。ここでは今も水が貴重品であることをいろいろと思い知る事件がありました。


(図9)ヘドロの匂い


(図10)南三陸のレストラン

 最後に立ち寄ったのは、専修大学のキャンパス。ここに全国から駆けつけたボランティアの人々のテントがたくさんありました(図11)。ここを拠点としてあちこちへ散り、夜になるとまた戻って来ているそうです。人間世界のいつにない喧騒をよそに、八重桜が見事な花をつけていました(図12)。


(図11)専修大学のボランティアのテント群


(図12)八重桜がいつもの年のように

 南へ走って女川まで行きましたが、そこの原子力発電所はしっかりと門が閉ざされており、近くの原発PRセンターも閉館でしたので、そこから一気に仙台まで突っ走りました。途中に、石巻、東松島、そして昨日訪ねた地域を通過しました。仙台のホテルでは、さる4月に(たぶん)NHKホールで行われたプラシード・ドミンゴの東京公演の様子を再放送していました。彼は、他の海外からのアーティストが軒並み来日をキャンセルするなかで、「今のような日本の状況だからこそ訪ねる必要がある」と感じて来たそうです。相変わらずの素晴らしい歌声に聴き入り、最後に彼が特別にみんなと歌いたいと申し出た「ふるさと」の熱唱を、ベッドに座りながらボロボロ涙をこぼしながら一緒に歌いました。

 数多くの経験を与えてくれた今回の東北訪問。一緒に行ってくれた二人の若い友人に、心から感謝いたします。

 (追伸)なお、帰京後に塩竃の阿部さんから連絡をいただきました。5月26日に彼の地の保育園で子どもたちに、特別仕立ての「宇宙の学校」を実施してきます。また相模原市に転校してきた福島からの子どもたちに対しても、近いうちに相模原の子どもたちと一緒にこれも臨時の形ですが「宇宙の学校」を実施する相談に入っています。力は足りませんが、できることをどんどんやっていきたいと考えています。

(YM)

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