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6月8日「科学衛星の命名ものがたり(5)」

 1980年代から90年代にかけて、日本の宇宙科学は、M-3SUロケットを擁して、油が乗ってくる。黄金時代の始まりと言ってよいであろう。日本の他の科学分野に比べると大きな予算だが、世界的にみると決して多いとは言えないお金で、宇宙科学研究所は独特の研究開発体制を作り上げてきた。
 1986年にスペースシャトル「チャレンジャー」の事故が起きた時、アメリカ議会で、著名な物理学者Freeman Dyson(図1)が証言台に立った。そのスピーチの中で、彼は、「1年に1機ずつ小さな衛星を機動的に打ち上げることによって、日本の宇宙科学研究所は着実に最前線の成果を上げてきている。アメリカも大艦巨砲主義を廃して、日本のような方式を見習ってはどうか」と述べた。そしてその日本の宇宙科学への評価を、“Small, but quick is beautiful.”と締めくくった。


(図1)フリーマン・ダイソン博士

ぎんが(銀河、GINGA)(旧名ASTRO-C)──X線天文衛星の3番機

 ダイソン博士のスピーチは、1990年代の日本の宇宙科学の躍進を見越したかのような予見性に満ちたものだったと、今でも私は感銘を受けている。その輝かしい時代の先頭を切ったのは、ハレー探査を成功に導いたM-3SUロケットで打ち上げた3番機「ぎんが」だった。打ち上げ前にASTRO-Cと呼ばれたX線天文衛星(図2)は、「はくちょう」「てんま」に次ぐ日本のX線天文衛星の3番機。「はくちょう」の時につけられるはずだった「ぎんが」の名前が、当然のようにつけられた。
 1987年2月5日、M-3SUロケット3号機で打ち上げられた「ぎんが」が観測機器の高圧電源投入を行った直後の2月23日、「大マゼラン雲に肉眼で見えるほどの超新星出現」の報が入り、「ぎんが」は2月26日、急遽観測態勢に入った。
 私たちの銀河系のすぐ近くの銀河における超新星の出現は,1604年以来のことで,世界中の天文学者を興奮させ,「ぎんが」にとっては千載一遇のチャンス。打上げ直後の出現は幸運な出来事だった(図3)。当時の小田稔先生の言、「小型でも1年に1機のペースで粘り強く科学衛星を打ち上げ続けている宇宙研の戦略の勝利だ。Freeman Dysonが言ったように、まさにSmall but quick is beautiful.だ」。
 週に1度くらいの割合で大マゼラン雲の超新星の監視を続けるうちに,9月に入ってそれまでに取得したLACのデータを厳密に整理・検討した結果、超新星からのX線を遂に確認した。世界に先駆けての検出だった。


(図2)「ぎんが」の観測器をチェックする槙野文命プロマネ(右)


(図3)大マゼラン雲中の超新星1987A(右)

あけぼの(曙、AKEBONO)(旧名EXOS-D)──オーロラのメカニズム

1989年(平成元年)2 月22日、オーロラを光らせるプラズマの加速メカニズムを解明することを目的として、EXOS-D衛星が準極軌道に投入された。いつもどんな衛星の時でも一定の得票を獲得していた「あけぼの」が、ついに採用された。
 2009年2月22日、あけぼの衛星は打上げ後20周年を迎えた。初めての人工衛星を打ち上げてからやっと50年が経った人類にとって、20年という長い期間にわたる磁気圏の観測によって得られたデータセットは、極めて貴重である。その成果が、以下のホームページに美しくまとめられている(図4):


(図4)「あけぼの」撮影のオーロラ

http://www.stp.isas.jaxa.jp/akebono/anniversary/

ひてん(飛天、HITEN)(旧名MUSES-A)──工学実験衛星1号

 1980年代のハレー探査による地球重力脱出を受けて、さらに本格的な惑星探査を行いたいという欲望が、宇宙工学のグループに芽生えていたが、残念ながら予算の余裕がない。惑星探査の理学上の要求と、工学的に習得しなければならない技術開発上の課題を、両方とも満足させるためには、宇宙科学研究所の予算ではとても無理である。
 そこで数年に1回は工学的課題に絞ったミッションを立ち上げることが、(おそらく)上杉邦憲から提案された。言わずと知れた上杉家17代目の当主である。そして彼はその工学実験衛星シリーズにMUSES(Mu Space Engineering Satellite)という通り名をつけ、日本読みを「ミューゼス」とした。
 詩の女神ミューズをもじったもので、本来なら「ミューズィーズ」という発音になるのだろうし、「ミューゼス」というと英語読みとドイツ語読みを混ぜたような違和感があったが、そのうち慣れてきた。
 その頃、アメリカとの共同ミッションとして近く打ち上げることが計画されていた宇宙プラズマミッションGEOTAILがあった。これは、地球磁気圏の尾部に直接入り込んで行くことが必要で、そこでの滞留期間を最大化するために、どうしても必要な軌道技術があった。Double Lunar Swingbyと呼ばれるもので、その軌道技術の習得が、MUSESの1号機の目的として選択された(図5)。
 打ち上げ前に集まっていろいろと命名の議論をしたのだが、なかなか決定的なものは浮かばなかったのだが、林友直教授が辞書と格闘して、ついに「ひてん」という艶やかな名前を絞り出した。「ひてん」とは飛天と書き、天女の意。なお、この衛星の本体の上にチョコンと載っている小型の衛星がある(図6)。「ひてん」が月に近づいたとき、本体から分離して日本初の月の孫衛星にしようというので、天女(飛天)にふさわしく「はごろも」が選ばれた。


(図5)「ひてん」のスウィングバイ軌道


(図6)「ひてん」と「はごろも」

(YM)

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